イナリコード「新たな始まり」

2015年3月14日の法然院でのイナリコード講演会に向けて

ここ最近、中東の情勢はまた険悪な方向へと動き出している。
地域テロの多発する中東紛争は欧州に飛び火しての無差別テロを引き起こし、それを対策のないまま野放し状態にしておくと大規模な殺戮を許すことになり、やがては世界中を巻き込む戦争へと突入してしまう危険性を孕んでいる。
人類の文明は遥かな過去からこのような大崩壊を何度も繰り返して来た。大規模な殺戮と自然の大災害が同時に起こることで人類の世界は終末を迎えるとする摂理。
ところがその二つの現象は同じ原因から生じている。人間の集合意識がそのような惨状を招き寄せたのだ。そして遂に、現在のこの文明が最後になると預言されている。
ヨハネの黙示録を信じ、それに記されたサタンの終結するハルマゲドンにキリストが再臨し、そこで善と悪の世界最終戦争が起こる。しかしそれが起こることで千年王国の到来となるのだと、それを心から待ち望んでいる人々がいる。
一方、日本海域でも某国の領海侵犯によるキナ臭い出来事が頻繁に起きている。ところで、「日本は世界の雛形」と予言したかつての傑聖がいた。もし「日本が世界の雛型」なら、この日本は将来どのようになっているのだろう?

今から20年ほど前、わが国でヨガ系カルト集団による無差別テロ事件が起きた。現在、中東で拡大している過激派テロ集団と何となく似ている。その後、カルト集団のテロ行為が日本全国に飛び火することはなかった。でも中東のテロは飛び火している。この日本は本当に雛形なのだろうか?
日本は東北大地震の経験から大地震への安全対策も施されるようになり、原発によるエネルギーの問題も、それに代わる新たなエネルギーの開発によって終止符が打たれる日も近い。
もし「日本は世界の雛形」と言うのが事実なら、世界もこの日本と同じようにそのような経緯を辿るだろうし、安全な社会を迎えることになるだろう。でも、もしそうでないとしたら、人類の文明は必ず終焉を迎えることになる。少なくとも今の世界はそうはなっていない。ますます危険な状況に向かっている。
私は「日本が雛形」と言うよりも、「日本がお手本」の方がホッとする。雛形とは「未来に必ず現実化する型」を言い、「お手本」とは意味が違う。
「世界にお手本となるべき施策を日本が実行する」の方がむしろ重要ではないかと考える。しかしそう言う点では、この国が世界の手本となるにはまだまだ途上にある。

もし「日本が世界の雛型」とするなら、日本は未来にどう変容するのか?それについてのことが日本の神話や古文献に記されている。そして、そのどの内容にも人間が変容する上での一貫した法則性と言うのが共通して見て取れる。それは「霊性の進化」に対するものである。
イナリコードはその法則の解明をこれまで試みてきたが、今回の講演の主題となる若狭と東大寺の関係もその一つである。
そこには「世界にお手本となるべき道を日本が示す」ことの意味が理解でき、私たちがこの日本に身を置く意味も分かる。
「東大寺のお水取り」。そこに示された勤行の意味。それを知り、それを覚ることの重要性を指し示している。それが正しく変容できる道と言う訳だ。

この日本が変容するには、私たち日本人の一人ひとりが正しく変容する必要がある。それが不可欠だ。
その方法が日本の神話や古文献、さらにはわが国の密儀に記されてある。しかしそのような秘密の教えを、古代の日本の地に伝えたのはいったい誰なのか?そしてその者(あるいは複数者)はもうすでにこの地球上には存在していないのだろうか?いや、そうではない。私たちが自らの内面に太古の神聖性を招き入れた時、その存在はこの世界とは異なる時空間からあなたの前に姿を現すことになる。その存在はかつて秘教霊団と呼ばれ、今では高度生命体と呼ばれている。
さて、冒頭で述べたような悲惨な終焉をもし迎えたとしても、また日本が雛形に、あるいはお手本となって世界がより良い変貌を遂げたとしても、私たちの進むべき道は決まっている。この次元から新たな世界を夢見して、人類文明の「新たな始まり」となる次元へと旅立つのだ・・。

東伯